25歳子持ちという身分で脱サラしたキックのプロフィール

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どーも皆さんこんにちは。最近会社を辞めて高知のど田舎に引っ越して来ましたキックと申します。

この記事は僕がどういう人間かをまとめたプロフィール記事になりますので、「お前に興味ねーわ」と思われる方は興味持って欲しいので最後まで読んでください。(笑)

ではではさっそくいってみましょう!

 

さらっと経歴

1993年4月に奈良盆地で産声→(幼稚園)ガキ大将にいじめられ、毛虫を足で潰させられる毎日→(小学校)運動している奴らを横目に教室で毎日迷路を書く。作文が得意で毎週入賞→(中学校)バレー部のキャプテン、JOC選抜に選ばれるが練習についていけずに仲間にバカにされる→(高校)バレーボール漬けの毎日、国体選手に選ばれる。初めて彼女ができたが5ヶ月で振られる→(大学)遊びまわる。ヒッチハイクや高知県から東北まで自転車で旅をする。→彼女が妊娠する→学生結婚。大学生の時に学内の友達を集めて結婚式をする→大阪のコンサル会社に就職。毎日同じことの繰り返しに嫌気がさす。毎日辞めることを考えるようになる→脱サラ→イケダハヤト氏に拾われてブログ書く→イケハヤ書生を卒業して主夫として引き続きブログを中心にネットでお金を稼ぐ。

 

 

〜詳しい生い立ちはここから〜

生い立ち

1993年4月8日奈良県の盆地、夏は蒸し暑く冬はめちゃくちゃ寒いというとっても過ごしづらい場所に生まれました。

親戚の中で1番最初に生まれたと言うこともあり小さい頃から人一倍親戚に可愛がられて育ちました。

幼少期になるとダンスが好きで毎日踊るように。

この時の記憶はほとんどありませんが、可愛がってもらってたので幸せだったんだろうなあと思います。

特に思い出はありません。覚えてないので。

幼稚園時代

幼稚園の頃はとにかく大人しく、周りから「いい子ねえ」と言われ飽きるくらいいい子でしたw

その分今の素行(子供いるのに脱サラしてブログ書いてる)を見て、幼少期の僕を知るみんなからはどうしちゃったの?どこで道を間違えてしまったの?と言われます(笑)

 

相変わらず親戚からは可愛がってもらっていたので充実した人生でした。

が、幼稚園に入る頃になると、幼なじみのガキ大将にとっつかまってよく泣かされるようになります。

たまに毛虫がたくさんいる近所の公園に連れていかれて

「この毛虫つぶさなかったらロケラン(その子はでっかい針金みたいな奴をなぜかロケランと呼んでました)でお前を吹き飛ばすぞ」

と脅され、毛虫をつぶさせられるという今考えたらけっこうえげつないいじめを受けていましたw(当時はそれが普通のことだと思ってたので無心で潰してましたw)

 

ほぼ毎週のように近所の公園で毛虫を100匹つぶすまで帰れまてん!みたいなことをする日々が続き、ガキ大将が怖くて親にもちくれず、まあまあ辛い日々を過ごしましたw

懐かしいなあ。

成人式で彼らにその話をしたら覚えてませんでした(笑)いじめる側なんてそんなもんですね。

このくらいの時から僕は友達と遊んだりすることが嫌いになりました。今でも地元に友達はいませんw

小学校時代


※右が弟

小学校に入ると、いじめっぽいものはなくなりましたが、クラスは完全にカースト制でした。

カースト制!?どゆこと?

 

誰が誰より強いか、みたいな派閥争いが男子同士で繰り広げられていたんですよ。小学生でw

今思えば異常なんですが、完全ピラミッド型になっており、下の位に位置する奴が上のやつに楯突くとボコられるかもっと上のやつを率いてボコりにくるかという感じでした。

※小学校のカースト制はこんな感じだったと思います。

いじめられっ子は毎日ガキ大将の標的で、窓際族は休み時間ずっと迷路書いてて波風立てない、我関せず系はあまり関与せず外で遊ぶ、とりまきはガキ大将に常にゴマスリ、ガキ大将はガキ大将同士で派閥争い。みたいな感じでした。

僕は窓際と我関せずポジションをウロウロしてた感じで、距離を置いていましたが、たまに巻き込まれてボコられたりしてました。

この頃は毎日小学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかったのを覚えています。

たまに学校休んで家族で旅行行ったりしてて、その非日常が最高に楽しくて、だから旅が好きになったのかもなあと今は思います。

※学校サボって家族でスキー行ってた

学校で起きる出来事といえばもっぱら誰が誰を倒した、カースト順位が変動した!みたいな話題ばっかりでした。

学年トップのガキ大将の順位が喧嘩によって入れ替わった時はたちまち学年中のニュースになってました。

そんな環境で育った僕は普段はもっぱらインドア派で、休み時間とかにドッジボールとかしてる子を横目に迷路を作っているような子でした。

俗に言うインキャです。

ただ、作文が得意で毎回書くたびに優秀作品に選ばれ、校内放送で朗読していました。たぶん今より文章力あったのではないかと思いますw

一番作文が評価されてた頃の僕。

純粋無垢ないい表情してますが、学校は大嫌いでしたw

中学校時代

中学校は奈良県川西町三宅町式下中学校組合立式下中学校というめちゃくちゃ長い名前の中学校で、日本一名前が長い中学校と言われてました(ほんまか嘘かは知らない)

中学時代は彼女の一人もおらず、基本的には部活しかせずの生活でした(インキャだったので)

 

一度女の子に告白されたことがありましたが、当時は中二病だったので

「〇〇ちゃんは僕とは価値観が合わないんじゃないかな。」

とか言って振ってしまいました。

ムッチャ後悔w

中学校に入ると父親が中学教師と言うこともあり、「部活は絶対!!」と言う事だったのであまり入りたくなかったのですがバレーボール部に入部しました。


※中学校の時のバレー部の集合写真

僕が入ったバレーボール部は弱小チームで1回戦で敗退するようなチームでしたw

 

ただ、僕は真面目なインキャだったので、それなりに毎日練習に励みました。

頑張っていることもあって部長に抜擢されましたが、他の部員とはうまくいかず毎日喧嘩していました。

僕が「練習しようぜ」というと同級生の部員は「は?」みたいな顔するか無視してゲームしてました。何度もなんども衝突してその度に話し合いをしました。

その度に僕は「一緒に頑張ろうぜ!」みたいな話をしてみんなを鼓舞し、部員のみんなも「そうだな。すまん。頑張るわ」みたいになるのですが、翌週には「頑張ろうぜ」「は?」でした。

部活の顧問はなぜか彼らに甘く、僕はずっと孤独を感じながら一人で練習していました。

僕はキャプテンとして孤立するようになり、毎日5時間目(部活間近)になると部活が嫌で腹痛に襲われる日々を過ごしていました。

この頃は辛かったw

ちなみに、僕の父親は僕が中学校の時は特に厳しく

勝てるはずの試合でぼろ負けした時、その試合練習サボってた部員がミスしまくって負けて、僕は一度もミスしなかったのですが

父「お前ら坊主にしろ。五厘刈りで」

僕たち「え、いやだ・・」

父「じゃあ部活やめろ」

という感じで坊主にされました。

正直いうと、部活やめたかったんですが、そんなこと言ったら父に殺されてたと思うので言えませんでしたw

僕と弟は強制的に五厘刈りにされました。

 

どーーーん!!

※試合で負けて無理やり父親から五厘刈りにされた時の写真。

あだ名が「電球」「カンフー君」「マッチ棒」になりました。

思春期だったのでぶっちゃけムッチャきつかったですw

毎日のように「髪の毛が一気に伸びた夢」をみて、目が覚めて絶望するという日々を送っていたのを今でも覚えています(苦笑)

起きた時のショックが毎日半端なかったw

中学校でジュニア選抜に!

そして、中学校3年生の時身長だけで県選抜のJOCに選ばれ、選抜メンバーとして全国大会に出場しました

ただ、身長だけで選ばれたので周りのレベルについていけず、この時もひどく苦い思いをしました。

 

スポーツの世界というのは特にそうなのかもしれませんが、できる人とできない人での優劣の差が顕著に出ます

スポーツできないやつはゴミ。スポーツができるやつは神。

というような扱いで、当然僕はスポーツできないゴミでした。

 

奈良県では12人の選抜選手がいましたが僕は1番下手だったので、基本雑用か残飯処理みたいな役割をこなしていました。

ボール拾いをしたり、みんなの洗濯物を洗ったり、ご飯の時はみんなの残り物を食べさせられトイレで吐いたりしました。

補欠でコートに入るとチームメイトに「どけ、こ○すぞ」と言われたこともありました。

いやあこの時が何気に、人生で一番辛かったですw

今までそんなに運動もできない方ではなかったのですが、この時初めてスクールカーストの最下層を経験しました。←言い方悪かったらすみません汗

どのコミュニティでも階級の一番下の人間がどう言った扱いを受け、それがどれだけ辛いことなのかを学びました。

存在価値のない人間として、常にバカにされながら接しられることはホント辛いです。

ただ、この時の経験があったから、「できない人の気持ち」がわかるようになったので今は感謝しています。

当時部活では僕は『できる方』だったので、できない人には「もっと練習しろよ」とか思ってたんですが、できないということの辛さはどうしようもないです。

やる気も何もかも全てそぎ落とされます。

なので、結果的にはとてもいい勉強になりました。

滑り止めなしで受けたギャンブル高校受験!

部活も引退し高校受験になると、自分の行きたい高校はある程度定まってきます。

ただ、案の定僕の父親はスパルタだったので「滑り止めなしで受けろ!」と無茶振りをしてきます。

 

大学受験で浪人ならまだわかりますが、高校受験で浪人は流石にきついわけです。

実際滑り止めなしで受験することを先生に伝えたら猛反対されました。

何考えてるんだお前は!と

別に僕は滑り止め受けたいんだけどなあ、とか思いながら仕方なく志望校一本に絞ります。

先生たちもなんだかんだ色々助けてくださり、僕も割と必死でしたw

僕が受けた高校は、当時の学力ではギリギリ多分いけないだろう位のレベルの高校でしたが、結果は見事合格。

いやあ、ほんと、この時の合格掲示板を見る時はムッチャドキドキしましたねw

 

結果受かったからよかったのですが、受からなかったら青年海外協力隊でブラジルに飛ばされることになってましたw

高校受験落ちてたら、今頃何してたんだろうと今でも時々思います。

まあそれはそれで楽しい人生だったことでしょう。

 

高校時代

そんなこんなでギリギリ入学した高校。

地元の友達とも別れ、晴れて楽しい高校生活を送れる!と思って意気揚々と入学します。

が、たまたま入った高校の監督がスパルタ熱血教師で、

「うちに入部せえへんか!?」

と、半ば無理やり入部。

当時の監督は、今時珍しい結構なスパルタ教員だったので、みんなでよく殴られました。

チームメイトと一緒にボコボコに殴られて、口内炎を毎日のように作っていたのは今となってはいい思い出ですw

その代わり僕らのチームは中学では未経験者が多かったのですが、県内では準優勝することができるほどにみんな上達しました。

 

僕個人でも国体選手に選んでもらい、その時はなんだかんだスタメンにも選んでもらえました。

部活をガンガンやっているとモテ期ってくるもので、同い年のゲイの子に告られました。

 

ちなみに高校時代、ちゃんとお付き合いした女の子も2人ほどいました。

初めて女性とお付き合いしたのは高二の夏。

なんと学年で一番可愛いと噂されていた女の子から、何を間違えたのかメアド聞かれました。

ただ、僕は絶賛チェリーボーイだったので、付き合うかどうか悩んでました。 今だったら0.5秒でOKですが←既婚w

しかも恥ずかしくて相手の顔を見ることができず、一週間くらいは相手の女の子が誰か知りませんでした爆w

 

まあ結局、さすがに僕もそこまで馬鹿ではなかったので、無事付き合うことになりました。

が、女の子との付き合い方が分からず、彼女とのメールをいちいち母親に確認してもらうというむちゃくちゃキモい事をやってました

当時は必死だったのでとにかく嫌われないように努力したつもりでしたが、こんな奴が好かれるはずもなく、5ヶ月で振られました。

がびーん!

センター試験で解答用紙間違えるw

その後、受験勉強は全くやる気が出ず、のほほんと過ごしていたんですが、センター試験一か月前になって担任教師に「お前このままじゃどこも入れないよ?」と言われ、1ヶ月間だけ死ぬほど勉強しました。

それまでも半年くらいは7~8時間くらいは一応勉強していたんですが、最後の一週間は1日12~14時間くらい勉強してました。

特に国語が全然ダメで、5割を切ることが多く、重点的に勉強しました。

国語って答えよくわかんないじゃないですか。あれがどうしても納得いかず何回も回答読み込んでは「うわー!」ってなってました。

そして来たるセンター試験当日。

開始の合図でまず最初国語。緊張して一瞬頭が真っ白になってしまいましたが、深呼吸して取り組みました。

その次英語、わりと手応えがあり、最後が数学でした。

苦手な国語と英語はなんとかこなし、得意な数学だけだったので少し気が抜けていました。

開始5分前は「ふふ、これ間違えて数1の問題解いちゃう人とかいるんだろうなあ」とか考えてたんですが、その5分後に自分が同じことをやらかしました(笑)

結局終了10分前に気づき、怒涛の巻き返しを図ったのですが、本来95点取れたはずのテストを45点という結果に終わりました。泣

あの時の焦りようは人生史に残る瞬間だったと思います。

人生であれだけ勉強を頑張ったのは初めてだったので、数1を間違えたと知りとてもショックでした。

呆然として家に着くと、前日のセンターの国語を母が途中まで採点しており「あんた、国語で8割取れてたで!」と言われたのですが、その瞬間せっかく頑張って結果も出せたのに凡ミスのせいで目標が潰えたことを知り、ショックすぎて、泣きじゃくりました。

家を飛び出して1キロ先の公園まで泣きながら走り、その公園で仰向けになりまた号泣しました。ドラマのワンシーンみたいですねw

ただ、結局一番やばいと思って真剣に頑張って勉強した国語があとでちゃんと採点したら2問しかミスがなく、9割強を取ったおかげで、なんとか関西学院大学高知大学に合格。

正直、関西学院のほうが行きたい気もしていましたが、お金がなかったので安い国立にしました。

怒涛の大学人生

僕は俗に言う大学デビューです。もとから性格は暗くはなかったのですが、そんなに目立つ方ではありませんでした。

しかし、大学に入って「なにこれ!?めちゃめちゃ楽しいやん!!」となり、人生舐めまくってるよくいるむかつく大学生になりました。

日本三大悪寮に入寮!


※僕が実際に住んでいた学生寮の外観

入学当時、南溟寮(なんめいりょう)という、日本で2番目に厳しいと言われている(誰が言ったのかは知らない)学生寮に入寮。

この寮なんと家賃が

700円!!!

その寮はとにかく規則、上下関係、環境が非常に厳しく、一般常識とはかけ離れた環境でした。

南溟寮の全てを語っているとものすごい文字数になってしまうため

ごく一部、簡単に寮の規則を紹介しておきます。

寮の規則(超ごく一部)

  • 入寮してから1週間は先輩と目を合わせてはいけない。
  • 入寮したらすぐ、ろうそく1本立てた真っ暗な部屋で1時間全力の無茶振り面接がある(委員室面接)
  • 風呂や食堂に入る時は全力で「失礼します!こんばんは!」と叫ぶ
  • 食堂で醤油取る時は「醤油失礼します!」と全力で叫ぶ。お茶とふきんとる時も叫ぶ。
  • 食堂も風呂も一回生だけではいけない。必ず先輩の付き添いじゃないと何もできない
  • 夜10時に寮長からの伝達には必ず出席する
  • 寮の先輩200人の顔と名前を全て覚える

ちなみにここで書いている「全力」というのは、みなさんの思う全力の声ではなく、『ガチ』の全力です。

翌日は喉が潰れて思うように喋れませんでした。

この他にもホントに色々ありましたが、とにかくクレイジーな寮でした。

 

ちなみに、音声だけですが、入寮するときに全員が受ける面接がこちら↓

夜中、真っ暗な部屋にろうそくを一本だけ立て、一回生は一人ずつ呼ばれ、先輩20人ほどが集まり、酒を飲んでます。

先輩の顔は見えず、一回生の顔だけ見える感じです。

ちなみに序盤ガンガン言ってるのは先輩が金属バット持って壁叩いてる音です。

そこで新入寮生が全力の声の大きさ(本当に全力w)で寮の規則を一言一句死ぬ気でとなえます。

この動画の後半でもわかりますが、一語でもいい間違えると即退場。最初からやり直しになります。

で、このあと男子寮ならではの無茶振りを1時間ほどさせられて、全部全力で答えることができたら入寮ですw

 

まあ、こんなむちゃくちゃなことしてる寮は全国探してもそうないでしょう。

残念ながら、恐怖のあまり過呼吸になる子が出たり、親からのクレームが相次いだので、この面接は今はありません。

キック
そりゃそーだわw

他にも、先輩が1年生のふりして入学式に一緒に行ったり(だいぶ仲良くなってからドッキリだと言われ、急に敬語を話さなければならなくなるw地味にショックがでかい)、その潜った先輩が自分で鼻ほじって鼻血を出し、「先輩に殴られた」と言って一回生をビビらせたり、まあいろんなエピソードがあります。

最初は大変でしたが、僕が入った学生寮は毎日が修学旅行みたいで、なんだかんだ本当に楽しい日々を送りました。

先輩も最初は怖いですが、めちゃくちゃいい人ばかりでした。

本当はこんな寮に入りたくなくて(誰でもそうだと思うけどw)一人暮らしさせてくれと親に土下座して頼んだんですが、例のごとく父が「寮に入れ」の一言で入ることになりました。

内情を知らせると母は泣いていました(笑)

旅、サークル、飲み会!とにかく遊びほうける。

学生寮のせいか、周りの先輩もクレイジーな人ばかりで、そんな影響を受け遊び惚けるようになります。

毎日毎晩飲み明かし、次の日は午前の授業サボって寝る。昼からまた授業サボって川に遊びに行く。という日常でした。

ヒッチハイク自転車で高知から東北までの旅、カナダに短期留学など、基本的に好きなことだけをひたすらやっていました。

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ヒッチハイクは高知県から大阪間を行ったり来たり、自転車旅は色々行きましたが、一番遠かったのは高知県から宮城県気仙沼までの1375キロの道のりを走った時です。

途中膝を壊してしまったり、色々ハプニングにも見舞われましたが、その分旅先で出会った優しい人たちが家に泊めてくれたりご飯を奢ってくれたりしました。

この時の経験から「旅」にのめり込んでいくようになりました。

また、高知県は自然がいっぱいで、僕はそんな大自然の中で毎日のように遊んでいました。

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サークルはアクティブ(というオールマイティーサークル)とバレーボールサークルに所属し、アクティブサークルでは部長も務めました。

そこまでは良かったのですが、僕は幼少期から男兄弟しかいなかったため、大学でキャピキャピ女子に戸惑いまくってました。

部長としてみんなの前で話すときも、キャピキャピした女子がいるとどもってうまく話せなくなってしまう始末でした←キモw

おかけでサークルの部長をやって後輩の女の子から告白されなかったのは僕だけとなりました。←サークルの部長はモテるんです。

バイトを掛け持ちしまくる

入学して最初の頃は寮の先輩がしょっちゅうご飯を奢ってくれたりしていたが、そうもいかなくなってきたのでバイトを始めることにしました。

とにかく遊びたかったのでバイトはいくつも掛け持ちしました。

僕のバイト歴はこんな感じ。

  • マクドナルド(3ヶ月)
  • 銀の皿(半年)
  • コンサートスタッフ(日雇い)
  • 着ぐるみ(日雇い)
  • 駐車場警備(日雇い)
  • 居酒屋(1年)
  • 農家のバイト(短期)
  • 神社の清掃(短期)
  • 家庭教師
  • クレカや携帯の営業のバイト(1年くらい)

他にもやったかもしれないですが、多分これくらいです。(正直うるおぼえです)

ここで気づいたんですが、ぼくめちゃくちゃ飽き性なんですよね。

生まれてこのかた1つのことに熱中したことがなく、アルバイトでも同じでした。

ちょっとやってみると最初は色々学びがあって面白いのですが、だいたい仕組みとかが知れると「なるほど!こんな感じね!おっけ!わかった!」と言って、それが自分に身につく前に辞めてしまう。という感じでした。

典型的なクズです(笑)

その代わり好奇心は人一倍強かったので、バイトが嫌で辞めたというよりは新しいバイトが楽しくて色々掛け持ちしてたという感じでした。

この時にいろんなバイトを経験したのはいい勉強になったなと思います。

小学生の頃からの夢「留学にいく!」のために貯金を死ぬほど頑張る

僕は小学生の時から海外で生活するのが夢で、大学では取りあえず2年ほど休学して世界を周ろうと思っていました。

なので、お金を貯めるべく、とにかくバイトしまくって着々と準備を進めておりました。


※寮の友達と1ヶ月1万円生活をした時の写真

当時の食生活は

朝ごはん:納豆1パック

昼ごはん:納豆1パック

晩御飯 :もやしを塩胡椒で炒めたもの(たまに卵を入れられる時は超贅沢)

 

のような状態。

それで毎日アルバイトをこなす日々。

ある日、サークルで運動してたらめまいがしてぶっ倒れそうになったので、1ヶ月半くらいでやめましたw

▼下記記事に当時の僕の暮らしぶりが書いてあります

20歳1人暮らしの大学生が1年で100万円貯金するためにやった超具体的な5つの方法

彼女が妊娠!

そしてとうとう、ビザも飛行機のチケットも取得し、語学学校に入金も済ませ、さあ行くべえと意気込んでいたとき。

当時サークルで知り合い、付き合って1年の彼女の妊娠が発覚しました!

そこから人生が一気にひっくり返ります。

当時僕が描いていた、適当に世界をぶらぶら見て回り、自分の世界観を広げまくって新しいことをする!という夢は一瞬のうちについえました。

正直、付き合っていた彼女を妊娠させてしまったのだから、そんなこと言ってられる立場では決してなかったんですが、本当の正直なところ、ものすごくワクワクして楽しみだった将来が一瞬で消え去ったショックはかなりのものでした。

ただ、彼女が僕の将来を気遣ってくれたこと、僕も彼女が産みたい!と言ってくれたことに迷いなく決断できたことで、結婚して絶対に幸せになってやる!!と次第に思うようになりました。

彼女(現妻)の産みたい!という強い意志と、両親はじめ周りからの温かいご支援のおかげで無事結婚式と出産を学生のうちに行うこともできました。

あの時は本当に周りの人から色々と助けてもらいました。

この場をお借りして、お礼を言わせてください。

ありがとうございました!!

会社員時代

大学時代に就職活動をしまくり、3社から内定を獲得!

大分の地域活性化系ベンチャー企業か大阪のコンサル会社で悩んでいたら、大分の方の会社の社長が逮捕されて会社が潰れたので、大阪のコンサル会社に入社することになりました。紙一重だったwあぶねーw

僕の入った会社はホワイト企業で、給料も良かったし、人間関係もよくとてもいい会社でした。

ただ、そんないい会社でも、毎日朝7時に起きて、取引先に訪問し、プレゼンをして、そのあと営業回り。業務。毎日毎日同じことの繰り返しに嫌気がさすようになりました。

「これをあと40年やるのか・・人生って思ったよりつまらないな」

と思うようになりました。

会社で働くことになると、そこには上司がいます。

このまま働き続けるとどうなるかはだいたい想像がついてしまうんですよね。

上司は尊敬できる人が多かったですが、それでも自分のキャリアが容易に想像できる範囲で収まるのは、かなりのストレスでした。

 

入社して数ヶ月で毎日「辞めたい」と思うようになりました。

四六時中「どうやったら辞められるか」を考えていたと思います。

 

ただ、僕には子供がいて、家族がいます。

会社員時代に2人目も授かり、4人家族を支えていかなければなりません。

そんな僕が会社を辞めて独立!なんて言ったら多分妻にボコボコにされるんじゃないかと思ってました。

が、ある日実際に僕が「会社辞めたい」と言うと、妻は「いいよ」の一言でした。

妻いわく

やりたいことがあるなら無理して我慢しなくてもいい。稼げないなら最悪私が稼ぐから家事やって。

とのことでした。

男前すぎるw

▼ちなみに僕の妻の特徴がよくわかるツイートです。今度妻についても記事書いてみたいなw


会社辞めた詳しい理由や経緯は下記記事にまとめてあります。

 

フリーランスに憧れるように

ネットなどで情報を調べていくうちに、フリーランスという職業形態を取っている人が多いということに気づかされました。

彼らは時間も仕事も場所も縛られてはおらず、自由に仕事ができると言います。

まさに僕が思う理想の働き方でした。

能力や努力量が物を言う実力世界というのも、年功序列の日本の会社よりも本質的で魅力を感じました。

1200万円貯金した

妻と相談した結果。フリーランスになって頑張ってみることに決めました。

もちろん色々葛藤はありましたし、2年間毎日悩みました。

しかし、結論「辞めても死なない」「今挑戦しなかったら一生後悔する。失敗しても後悔しない」という2つのはほぼ確実だったので、挑戦してみることにしました。

不安定な挑戦に家族を巻き込むことになるので、ガムシャラに節約して24歳の終わり頃には約1200万円を世帯で貯金しました。

僕たちの夫婦の幼少からの貯金と学生時の貯金と、2年分の会社員の給料です。

イケハヤさんのツイッターがきっかけで・・

そして、ちょうど、脱サラしようと決めたくらいの頃に有名ブロガーのイケハヤさんがこんなツイートをされていました。

おお!これは!

と思い早速連絡。

キック
是非アシスタント業務をやらせていただきたいです!
イケハヤ
おお、それはいいですね。一度お会いしましょう!

 

ということで、お会いすることに。

色々審査とかされるのかなあ、と勝手に緊張していたのですが

実際に話した内容は

イケハヤ
家がないんですよねえ
キック
そうなんですねえ!まあ色々探してみます!

くらいでしたw

ブログに関しては何か聞かれるのかなと思っていたら

イケハヤ
じゃあまあ、ブログは、書きます?
キック
あ、はい。もちろん。

書かないっていったらどうすんだよ!って突っ込みたくなりましたが、そんな感じでするっと雇っていただきました。

イケハヤさんに拾っていただき、ブログも拡散していただいたりで本当に負んぶに抱っこ状態でした。

とりあえずブログを毎日書く

そこからネットを通してブログに取り組みました。

基本的に毎日ブログのことを考え、とにかく書くと言う作業に勤しみました。

SNSも同時にがんばっていたので、pvも初月から5万pvに達し、順調な滑り出しでした。

ただ、そんなに甘いわけもなく、毎日書いているのに全然お金は稼げませんでした。

その後、ブログを毎日書いたり、オンラインサロンやったりnoteを書いたりと色々やってきたおかげで、ネット上で色々と仕事をいただけるようになり、最近はなんとか生活には困らないくらいまでは収入を確保できるようになってきました。(今オンラインサロンはやってません)

ブログ自体はあまりいい結果は出ませんでしたが、ギリギリ生活費くらいは稼げるようになりました。

【関連記事】:フリーランスを1年やって収入の変化と反省点を振り返ってみた

イケハヤ書生も無事1年で卒業することができ、フリーランスとしての記念すべき一歩目を踏み出せたという感じです。

【関連記事】:イケハヤ書生卒業します!

イケハヤさんには本当にお世話になりました。いつか恩返ししたいですね。

個人で生きていく厳しさと楽しさ

最近よく「個人の時代」という言葉を耳にしたりすることが多くなってきていると思います。

大企業に勤めていれば安泰という時代は終わり、個人の能力を身につけなければいけないということですね。

個人的に全く同意見なのですが、ただ個人で食べていくには同時にそれなりの努力量は必須だなということもとても感じています。詳しくは収入報告の記事に書いていますでよければ見てみてください。

自分のスキルや経験だけで戦っていくというのは、自分の力がお金というわかり易い指標で測られ、自由な選択ができるという楽しさがあります。

しかし、同時に常に努力の基準値を上げていかないという厳しさもあります。

その厳しさと楽しさを両方感じながら、自分ととことん向き合わないといけません。

団体から独立する。ということは、社会の競争の波に個人で真正面からぶつかるという意味です。

やはり甘えた気持ちではうまくいきっこないですね。最近改めて痛感しました(苦笑)

僕は今そんなことをもんもんと感じながら、毎日PCに向かっています。とはいえ、やってることは机に座っているだけですが、刺激的で楽しいです。

もし個人で仕事がしたい!挑戦してみたい!と本気で考えている方がいたら、よかったらツイッターででもお声がけください。

僕も色々と助けていただいた身で、今は人に仕事も振れるくらいの身分にはなれました。

なので少しずつ恩返しもしていきたいと思っています。

個人で戦うといっても仲間は大事です。お互いに仕事回しあって助け合えたら楽しく仕事ができるかもしれないですしね。

 

 

と、僕のプロフィールはここまでとなります!

ここからは成功体験をがんがん追記していけるよう、努力するのみです。

今後ともこんな僕をよろしくお願いします!