どーも皆さんこんにちは。
既婚学生ブロガーのキックです。
(高知の大学で三年生の時に彼女の妊娠が発覚、その後の僕の行動や思ったことなんかを中心に、脱線を交えながらいろんなことを書いていきたいと思います。)
最近命の境目、「生」と「死」の両方に遭遇する場面が非常に多かったので、このことについて考える機会がたくさんありました。
今日はそんな少しシックな話題をお届けいたします♪
この記事を書いた人

キック(@kikumer)
大学3年生の頃に学生結婚。そのことを機にお金を貯め始め、25歳で1200万円貯まったので脱サラして家族4人で田舎に移住。現在は主夫兼在宅ワーカーをしています。
どこからが命なのか!?
![embryo-159690_960_720[1]](http://livedoor.blogimg.jp/getpeace/imgs/5/2/52d02f40-s.png)
人々が生きていく中で一度は考える、生命の永遠のテーマともいえるのではないでしょうか。
どこからが命なのか
このことは、妻が妊娠した時に本当にいろいろ考えました。
妊娠には中絶という選択肢があります。
僕たちに中絶という選択肢はなかったのですが、それでもやはり今回の出産で、どこからが命なのかということについては、大変考えさせられました。受精したら命であるという認識はごく一般的ですが、その一方で中絶は頻繁に行われています。
一応日本の母体保護法という法律では生後六か月から中絶はできなくなります。言っちゃえば早産扱いになります。故意の場合は殺人みたいなもんですね。
妊娠12週以降
または
・胎児の体重が500g以上
この場合、
同じ中絶でも実際の扱いは「死産」となり、
胎児の死亡届を提出しなくてはなりません。
つまり流産として扱われるのは、
「妊娠12週未満または体重が500g未満の場合」ということになります。
中絶するということより
また、女性の多くは受精したと同時にわが子を愛おしく思い、産みたいと思う気持ちが生まれます。
どこからが命かというところは感覚的な部分であり、人それぞれです。
これらを見ても分かる通り、この答えは簡単に出せるものではなく、非常に難しい問題です。
しかし、僕はあえて、境目を付けるとするならば、ここだという境界線みたいなものを見つけました。
もちろん違うという人はたくさんいると思いますが。
で、ここからはちょっと哲学チックになりますので読んでいて嫌になるかもしれませんw
命の「価値」と境界線
まず、僕の感覚で言えば、境界線は生まれた瞬間です。しかし、僕の妻は、受精したと分かった瞬間に命であると強く認識していました。
このことから、思うのは、周りの人間が命と直感的に認識する境目が命の境界線だと僕は考えています。
このことは「命の価値」の話にもつながってくるのですが、僕は命の価値って周りの人間のその人に存在してほしいと感じる度合いだと思うんです。
そもそも「価値」という概念は人が作り出したものであるので、言ってしまえばだれからも認識されない人に「命の価値」というものは存在しません。
もっと言えば、その人が死んでも誰も何とも思わないのであれば、その人の命に「価値」はないのです。
なぜなら「価値」とは周りの人が対象物に対して認知するものでしかないからです。
で、この「価値」というものが赤ん坊にも言えます。いわば「命」という概念でさえも、周りの人間が「価値」という尺度から生み出したものにすぎません。だから「命」を愛しみ、愛おしいと感じるのです。
そうであるのなら、どこから命なのかという疑問には簡単に答えが出せます。
それは
そしてその場面の多くは、出産です。
子供の誕生というのは、母親を除けば極端に言えば他人事です。
冷酷に聞こえるかもしれませんが、例えばおなかの子供が死ぬのと、生まれて元気にハイハイしている子が死ぬのとでは、大きな違いがあると思います。同じ「命」と言いたいところですが、現実にどうしてもそこに「価値」の差が生まれているんです。
正直母親でさえもそうだという人は多いと思います。
1歳の頃、阪神淡路大震災がありました。僕の母は当時弟を妊娠していましたが、揺れが起きた瞬間、僕の覆いかぶさったそうです。
母に当時の心境を聞いた時「あの時はまだ弟より兄の方が大事だった。」と言っていました。この違いは生まれたか生まれていないかということらしいです。
価値のない命だってある
「人にはみんな、その命に価値があるんだ!!!」とかよく少年アニメとかで聞いたことがあると思いますが、実際社会はそうなっていません。
はっきり言って、価値のない命は存在すると思います。それはその命を卑下しているというわけではありません。
価値という概念こそが周りの人間の身勝手な尺度でしかないということだからです。
どこからが命なのかという認識もそうです。
価値という曖昧な概念があるからこそ、命の境目はバラバラになってしまう。もしかしたら、命の境目がどこかなんて、人が立ち入るところではないのかもしれません。。
とまあ、こんな感じでカッコよくまとめてみましたが、というか難しくてまとめきれませんw
命というものを簡単に理屈だけでまとめてしまうことに不快感を覚えた方もおられたかもしれません。しかし、結局のところ、結論はここにたどり着きます。
結構僕はいつもこんなことばかり考えていますw
僕の頭の中の紹介、自己満記事としてとりあえず終わっときます。
皆さんのご意見とかも是非聞きたいのでもしよろしければ、お聞かせください♪
おしまい♪